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子育て・あのね

命を育む木と善悪を知る知識の木

2023年4月10日

東福岡幼稚園理事

松見 俊

新しく東福岡幼稚園に園児をお送り下さる保護者の皆様、お子様たちの御入園おめでとうございます。ちょっとの不安と大きな喜びに包まれておられるでしょう。進級されたお子さんの子育て中の保護者皆さんもおめでとうございます。

私が、小さなお子さんというか赤ちゃんに出会って、「まあ、賢そうな子」と言いますと喜ばれる保護者の方が多いように思います。「まあ、お元気そうな子」と言われるのとどちらがくすぐられるでしょうか?寝返りが遅い、ハイハイもできない、言葉が遅い、とご自分のイメージや育児書と違う我が子を見て心配になる方もおありかな。

創世記2章によると「エデンの園」には、食べるに良い実のなる沢山の木と、その園の中央に「命の木」と「善悪の知識の木」の二本の木が生えていたと言われています。「命の木」とは文字通り、命を育み、生き生きと人を生かす神の恵みの賜物を象徴しています。「善悪の知識の木」という表現は多少複雑な言葉になっています。古代の神話では「命の木」の物語は良くあるそうですが、その横に「善悪の知識の木」が生えていたというヘブライ語聖書の物語は珍しいそうです。「善悪」とは道徳的、倫理的事柄のことであり、「知識」とはそれを判別する知的能力を育むことです。この物語を語った人たちは「善悪を知識の木」という複雑な表現で何か言いたかったことがあるのでしょう。先ほど「賢そうな子」と言いましたが、これは「善悪の知識系」の表現であり、「お元気そうな子」という表現は「命の木系」の関心であると言えるかもしれません。

さて、創世記2:16—17には意地悪に聞こえそうなことが書いてあります。「主なる神は人に命じて言われた。『園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。』おいおいそういわれるとかえってそれに注目しちゃうよ! そもそも、そんな物騒な木を生えさせるなよ!と言いたいのですが、人は知識を求め、分別知を得ること、それを生かして知恵ある生活をすることから逃れることはできないのは確かです。そして、人が自分の得た知識を適正にコントロールすることは難しいことも確かです。人は知識を得、他者を支配できるようになると、あたかも神であるかのように傲慢になったり、多少知識の面で課題があると自己卑下などに陥ってしまうのです。そして外見上はどうであれ、命が枯渇してきます。たぶん、命が生き生きと溢れ、しかも「善悪の知識」の両方を持つ、あるいはその両方のような存在は神のみなのでしょう。

「二重拘束」(double binding)という言葉があります。「元気な子」になりなさいという要求と「出来る子」になりなさいと言われると子どもたちはどちらを選んだらよいのか混乱します。また、「仲良くしなさい」と言いながら保護者の態度が極めて競争的、攻撃的であればこれも子どもたちいには二重拘束になるでしょう。「あたなのためよ」と言いながら結局は保護者のためであることなど子どもたちはすぐ見抜きます。私の孫は今年大学を卒業し、就職しました。望みの大学には入れず、浪人してもだめでした。「では、きみはできる子路線ではなく、良い子路線で行け!」というと「はあい!」と応えてくれまして、その路線を悠々と進んでいます。個性があります。いや、実は、面白いことが「できる子」でもあるのです!つまり、この世の枠組みでは測りにくいだけです。子どもたちはこのような愚かな保護者たち、周囲の者たちを超えて成長していきます。だから、ご安心を!

やはり、子育てには、保護者たちが育てられ、成熟していく(異質な他者とコミュニケーションができる人になる)必要があるでしょう。

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