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子育て・あのね

微笑ましい出来事:人はどこから悪くなるのか?

2023年1月18日

東福岡幼稚園理事

松見 俊

新年をいかがお過ごしですか?喜ばしいはずの新年に人はどこから悪くなるのかというテーマでコラムを書くことをご容赦ください。実は悪くなることはそんなに悪くないということを強調したいのです。

私は牧師や教会以外の働きの責任が幾つかあり、子育て中に「じゅっくり」子どもたちを「観察する」余裕がありませんでした。「保育」において子どもたちを「観察」することは大切でしょう。まあ、子どもからすれば、観察されたらかなわないでしょうが…。

そこで最初の孫がどこから悪くなるのか観察していました。祖父母と孫との間にはある程度「距離」がありますから「観察」もできる訳です。この最初の男児の孫は「動くもの」、特に「トーマス機関車」を綺麗に並べ、同じ目線になるためにうつ伏せで寝て、ああ、みんな「仲間だ」と叫んでいました。それを聴いて「仲間」とはいい言葉を覚えたなあと喜びました。

確か三歳違いの弟(正確には三年一ヶ月差)が赤ちゃんでしたから、四歳くらいの時でした。ですからトーマス機関車に凝る前のことかも知れません。一両でしたが「電車」を買ってくれと言うので買ってあげました。屋根の処についているスイッチをひねると、ドアが二箇所開閉する仕掛けでした。かなりの時間スイッチをカチャカチャしてドアの開閉で遊んでいました。処がしばらくすると、私の方を向いて「にやり」と笑ったのです。いつもの「にこにこ」とは違う「にやり」で、私はちょっと不安な感じでした。すると案の定、彼が電車を持って私に近づき、私の足の親指をドアに挟もうとするではありませんか!「そんなことしたらダメだよ!」というと隣の六畳の畳の部屋に寝かされていた弟の処にいって、彼の足指をドアに挟んで喜んでいるではありませんか!弟は何をされているのかも分からず、キャッキャと上機嫌です。そこでお爺さんは考えました。どうして上の孫は人の足の指を挟むということを考えたのだろうかと。

ヘブライ語(旧約)聖書の創世記3章1節には、「主なる神が造られた野の生き物の内で、最も賢いのは蛇であった。」とあります。蛇は日本でも世界各地でも、知識あるもの、神の使いとされていますね。この蛇の「誘い」によってエバとアダムが、神から禁止されていた「善悪を知る知識の木」の実を食べてしまった物語が展開されています。ここでは「罪」という用語は一切登場しません。この世界に悪が存在するのはどうしてなのかは現在でも哲学的、宗教的に十分説明できない大問題なのです。

しかし、子育て中の皆さんにお知らせしたいことは、創世記のこの物語では悪は神様起源でも人間起源でもない「蛇」の所為にされているというヘブライ人の知恵を知っておくことです。そして、人の悪は成長して知恵がついてくると出て来るのではないかという暗示です。確かに、善悪の区別をしてあげること、躾をしてあげることは保護者の役割でしょう。しかし、保護者が余りに痙攣的に「善悪のケジメ」をつけ過ぎると子どもたちの善悪の彼岸にある「いのち」は委縮してしまいます。悪いことを思いつくことは知恵の始まりであり、成長の一プロセスであるという余裕を持って当たりましょう!まあ、悪いことがこの程度の微笑ましいものであると良いのですが…。

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