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あそびとおもちゃ

過去ログ

わたしがあそんであげる

2019年11月24日

満3歳そら組の子どもたちは、それぞれ3歳の誕生日を迎え、3歳になると入園してきます。ですから、4月に入園する子どもはとても少なく、年度の途中からどんどんクラスのメンバーが増えていくのです。

11月になり入園してきたA子ちゃん。幼稚園に入園することはとても楽しみにしていたようですが、朝の登園でお家の方と別れる時には寂しくなり、ぽろっと涙も・・・  それはそうです。例えば、入園を旅行に例えるならば、今までの未就園児クラスでは保護者と一緒に登園し、保護者が添乗員さんの役割を果たしていたようなものです。しかし、入園となると、添乗員の保護者はいなくなり、現地係員の「先生」がいるだけで、「だいじょうぶ!せんせいがいるからあんしんして」と言われても、よくわからない言葉で話しかけてくるし、一番頼れる添乗員さんはいなくなるし、もうどうすればいいの?・・・と言った状態なのだと思います。

ここで活躍するのが、新入園児の気持ちを一番理解し、心配してそばで優しく見守ることができる、少し先に入園した同級生や年上の子どもたちなのです。

年中組のB子ちゃんは、入園前からA子ちゃんのことを少し知っており、A子ちゃんの入園を楽しみにしていました。入園初日、A子ちゃんが泣いているとB子ちゃんが心配そうにやってきて、A子ちゃんの様子をしばらく見ていました。そしてB子ちゃんはこう言いました。「わたしがあそんであげる!」 その言葉は、私に任せてと言わんばかりのとても力強いものでした。実は、B子ちゃんも入園当初、同じように寂しくて悲しくていっぱい泣いた経験があったのです。私は、B子ちゃんならと思い、信頼し、B子ちゃんにA子ちゃんを託しました。

B子ちゃんがどのようにA子ちゃんと遊ぶのかを少し離れたところから見ていました。すると二人はブランコに行き、A子ちゃんはブランコに乗り、B子ちゃんがそうっとそうっとブランコを押してあげていました。次第にA子ちゃんの涙も止まり、B子ちゃんの優しい笑顔に見守られながら、二人だけの優しい時間がながれていきました。優しいお日様の光を浴びたこの二人の姿は、西洋画の主人公のように見えました。

ここで、重要なのがB子ちゃんがなぜたくさんの遊びの中から「ブランコ」を選んだのかと言うことです。一番に考えられるのは、単純にA子ちゃん自身がブランコが好きだからという理由です。もちろんA子ちゃんに聞けば、その答えはすぐにわかるのかもしれません。でも、理由なんてないのかもしれません。ただ、一つはっきりしていることは、B子ちゃんが寂しさや悲しさを感じているA子ちゃんの気持ちをそのまま丸ごと受け止めて、楽しさを伝えてあげたということです。「ブランコ」は日常の生活では絶対に経験できない、特別な世界を体験させてくれる面白い遊具だと思っています。もしかすると、B子ちゃんはそのことを知っていて、A子ちゃんにもその楽しさを味わってほしくて、そして今だけ少しだけ、特別な世界へと連れて行ってあげようと思ったのかもしれません。自分がついているから大丈夫だよと言う気持ちと一緒に・・・ 保育者は、みんなから「せんせい」と呼ばれていますが、それは子どもたちよりただ先に生まれただけのこと。子どもにとって本当の先生は、一緒に生活している子どもたちなのかもしれません。

おおきい? ちいさい? ちゅうくらい?

2019年11月10日

10月31日に、毎年恒例の「いもほり遠足」に全園児・全職員・未就園児クラスの子どもたちと保護者で行きました。雁ノ巣レクレーションセンターのいも畑はとても広く、見渡す限りいも畑が広がっています。畑に着くと子どもたちは大喜び!! 皆で一斉においもを掘ります。

東福岡幼稚園は、みんなで収穫したお芋を集めて、沢山収穫できたことを喜び、後でみんなに平等に分け、お家に持って帰ります。いもほり遠足の後に予定している「やきいも」や「さつまじるパーティー」のためにもおいもを少し幼稚園に置いておきます。みんなで分けるのは、神様から大切な食べ物を頂いたことをみんなで感謝し、収穫をみんなで喜ぶという意味があるからです。

畑でおいもを掘った時に、子どもたちには一つの課題が与えられます。それは、自分で掘ったおいもを「おおきいおいも」「ちゅうくらいのおいも」「ちいさいおいも」に自分で仕分けすることです。この仕分けは感覚で行うものなので、人によって少し異なります。しかし子どもたちは最初はその基準がわからず、仕分けする箱の前で戸惑ってしまい、収穫したお芋を手にじっと立っています。仕分けを補助する保育者が、「これはおおきなおいもだから、こっちの箱に入れてね」とアドバイスをしていきます。何度か自分で箱に入れるうちに、多くの子どもたちが自分の感覚で上手に仕分けができるようになっていきます。

なぜ、子どもたちは、短時間で感覚としての仕分けができるようになっていったのでしょう? たぶんそれは、何度も同じ経験を、最初はアドバイスを受けながら、そしてその基準を自分なりに感覚として理解し、それを繰り返したからではないでしょうか? この姿を見ていると、繰り返しの経験がいかに大切なことなのかが解ってきます。毎日休まず幼稚園に登園している子どもたちが、毎日同じ経験を繰り返すことで少しずつ自信を持ち、大きな行事に不安を持ちながらも楽しみに出来るのは、この小さな毎日の繰り返しの経験が自信の基礎になっているのだろうと私は思っています。

 

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