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子育て・あのね

信じること、待つこと、祈ること

2023年8月23日

東福岡幼稚園理事

東福岡教会協力牧師

松見 俊

コロナウイルス感染のニュースが入り、あれやこれやで3年半が経ちます。この間、手探りで随分混迷したようにも思います。3年半と言えば、年少さんの保護者の方はほとんどこの辛い時期を過ごしてこられましたね。また、昨今では、ロシアのウクライナへの侵略戦争を契機にして食糧やエネルギーの自給率の低い我がクニの弱点がもろに前面に出てきています。多少便乗値上げもあるのかも知れませんが、諸物価の激しい上昇に直面し、保護者の方々はさぞ難儀をされていることでしょう。私自身はと言えば、激しい老化で、昨日できていたことが今日は出来にくくなったり、喪失体験の連続です。仕事から引退したこともあり、比較的自由な時間があるせいか、牧師という仕事をしてきたせいか、あるいは性格なのか、「あの人はどうしているか、あの子は大丈夫だろうか」と取り越し苦労に近い日々です。

そのような営みにおいて思うことは、信じることの大切さです。これは子育てにおいても「親育ち」においても言えることでしょう。幼稚園に入れば、自分の子どもは大丈夫だろうか?特に、他者との比較によって多少の自信も揺らぎます。あるいは、そんな不安を隠して意固地になったりします。でも、自分のこどもを信じること(明日の幾ばくかの成長に期待する)は保護者の特権でもあり、他人がどう言おうが、保護者だけはいつも子どもたちを信じてあげたいものです。

「信じる」ことは「待つこと」であると最近つくづく思います。信じて、待つことを選び取ったのがバプテストという群れです。プロテスタントの一つの流れを汲みますが、東福岡幼稚園は西南学院、小倉の西南女学院と同じバプテスト派の教会立幼稚園です。バプテストの特徴の一つは嬰児あるいは新生児洗礼をしないことです。その子が成長して自分の意思で信仰を持つまで、信じて、待つことを選び取ったと言えましょう。これって少し大変です。うっかりすると世の中の流れで(特に日本社会でクリスチャンは人口の1%にも満たない)、大きくなると、教会どころか神を信じることも拒絶する可能性も大きいでしょう。それでも、バプテストは、その子を信じ、待つことを選び取り、それに、「祈って」待つことを選び取っています。それは、人の背後に働く神への信頼に裏付けられているのです。それにある程度の「躾」の必要です。自分と人を傷つけないためです。

夏休みもそろそろ終わり、園での集団生活も始まります。お子さんも保護者の皆さんも少し緊張するでしょうか?お休み中に、良い生活習慣も退化してしまってはいないだろうか!大丈夫です。皆さんの愛する子どもたちですから。もし、少し心配で、心がざわざわしたら、背後に働いておられる愛の神の支えを信じましょう。大丈夫です。その確信の内実が、信じること、待つこと、祈ることなのでしょう。

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