クリスマスの思い出
東福岡幼稚園理事
松見 俊
クリスマスおめでとうございます。クリスマスはイエス・キリストの誕生日です。神がイエス・キリストをこの世界にプレゼントしてくれたことをお祝いし、互いにプレゼント(贈り物)をする習慣がありますね。皆様はどのようなクリスマスをお迎えになるのでしょうか?
私の子どもたちが幼稚園児の頃は母の日や父の日(現在は片親の方がおられるのでこのような呼称は避けていますが)そして誕生日にはたどたどしいカードと共に「お手伝い券」や「肩もみ券」などを貰ったものですが、最近はそのようなことはありません。どのくらいの歳からそんな習慣がなくなってしまったのでしょう。子どもたちが成長すると保護者としてはちょっと寂しいです。
子育て関連で、スイスでのクリスマスの思い出を書き留めてみます。実は、イエス様のお誕生日のお祝いであるクリスマスと、贈り物をあげたり、貰ったりするサンタクロースの日は別のものです。ヨーロッパでは、12月6日にサンタ・ニコラウスの日があります。「サンタクロース」はセント・ニコラウスのオランダ語読みです。この日、玄関のドアの前に靴を置いておくと良い子の靴に贈り物を入れてくれる習慣です。むろん、セント・ニコラウスさん自身も紀元3世紀~4世紀にイエス様を主と信じて、貧しい人々に贈り物をプレゼントした人で、現在でも欧州のそこら中に聖ニコラウス教会が建てられています。(贈り物はさておき、欧米のクリスマスは、日本のお正月のように家族みんなが集まる日です。)
私の次男のことです。当時は、スイスのチューリッヒ郊外の神学校の家族寮に住んでいました。彼が幼稚園の年中さんくらいのことです。玄関前に靴を置いておくと、翌朝、お菓子のプレゼントが入っていて大喜び! ここからが彼らしい処です。「パパ、ダメモトで、今夜も靴を出して置こう!サンタさんが間違えてお菓子をまた入れてくれるかも知れない!」(長男はそんな欲張りを言いません。)子どもの夢を壊したくない私は急いで数分歩いて、「つた」の絡まる神学校本館の地下室に行き、チョコレートの販売機でチョコレートを幾つか買って息子の靴の中に入れました。すると次の朝、彼は大悦び。「パパ、サンタさん間違えてまたプレゼントくれた!」「そう良かったね!」。処がこの子ここで終わらない。「パパ、サンタさんまた間違えるかもしれないので、靴を出しとくよ!」と来ました。私は、「いい加減にして! 欲張り!」とちょっと大きな声を出しました。彼は、今は人の金を数える銀行員。高校生になった頃、「おかしいなア、あのチョコレート、神学校の地下で売っていたなあ?」と思ったそうです。あはは!
サンタさんを信じる子どもと保護者の「化かし合い?」。でも小学校に入ると訳知り顔の「おませ」な子が「サンタって、実は、親(保護者)なんだよ」という夢の無いことを言い出すのです。これも子どもたちの成長過程であり、「子育て」のひと苦労です。
ある時、教会員の女性から質問がありました。「先生、私の娘、小学校6年生にもなるのに、まだサンタクロースの実在を信じているんですが、大丈夫でしょうか?」私「もちろん、大丈夫!その内、信じなくなるよ!」これもまた、子育てのちょっとした寂しさと嬉しさでしょう。