過去ログ
読み聞かせをしてきて嬉しかったこと
みなさんは、もりのへなそうる(わたなべしげお:作、やまわきゆりこ:絵、福音館書店:出版)という絵本をご存知ですか?てつたくんとみつやくんという兄弟が森へ冒険に出かけます。ある日、不思議な卵を見つけます。お母さんにお弁当を作ってもらって、次の日も出かけます。
ある日、卵から孵ったへなそうるに出会い仲良くなります。
弟のみつやくんはまだ小さいので、何度教えても、たまごをたがもとしか言えません。でも3人は仲良しになるお話です。
子どもが小さい頃、読み聞かせをしていました。毎晩、1冊読んであげるから選んでおいで!と言うと、毎晩、本棚の前で10分以上悩み、今日はこれにする!と選んでくるのがもりのへなそうるでした。毎晩悩みに悩んで、毎晩へなそうるを選ぶのです。私は内心、またこれ?とおもうのですが、毎晩へなそうるを読みました。
ただお布団に入って読んでいると、すぐに寝てしまうので、多分彼は最後まで読んでいないと思います。
小学校になって、卵がなくなっていたので、冷蔵庫に貼ってるメモに卵って書いておいて!と頼んでいて、後でメモを見たら、たがもと書いてありました。
毎晩毎晩、へなそうるを読んで最後まで読んでいないかもしれないけれど、彼の心にはのこっていたんだなぁと嬉しく、読み聞かせをしてきてよかったなぁと思った出来事でした。
「だいすき」のちから
今年度より、数名の職員で子育てエピソードを書いていくことにな
まだまだ新米ママ🍀で、保護者の皆さまの日々の奮闘には及ばぬこと
我が家の子どもが、最近少しずつ話せるようになり、子育てがます
「ママ? ばいすぴ(だいすき)」と初めて言ってくれたときは、全身に染み渡るような魔法の言葉に
どんなに疲れていても、落ち込んでいても、娘が一生懸命伝えてく
私は幼い頃に大好きだった絵本📖があります。
当時とても親しかった友人に、誕生日プレゼントでもらった『ずーっとずっとだいすきだよ』という絵本です。
教科書の題材にもなっているので、ご存知の方も多いかも知れませ
。少年が飼っていた犬🐕が、自身よりもずっと早いスピードで老いてい
我が家にも子どもが生まれる前から犬🐕がおり、とても大切に、チ
そうしてずっと、「あんたが大将」状態で生きてきてしまった🐕が突然現れた赤ちゃんに敵対心を持ったり、嫉妬で赤ちゃんを攻撃し
この絵本が私に教えてくれたことは
「思っているだけでなく、言葉にして伝えることの大切さ」です。
実際、私は娘から日々たくさんの愛を受け取っていますが「だいすき」と、言葉で伝えられることで、本当に多くの力をもら
私もこれから、大切な人たちに毎日、惜しみなく伝えたいと思いま
寝る前の親子のひと時
これまで「子育て・あのね」では、教育コラムとして教育の専門家の方々にコラムを書いて頂いていましたが、今回から、数名の教職員で子育て体験談を書いていきたいと思います。
子育ての中では色々な思い出がありますが、その一つは寝る時に子どもに話した、創作話のことです。夜になり「さあ寝ましょう」と言って準備をし、みんなで布団の中に入っても、子どもはなかなか寝むくならないようで「パパ、遊ぼう~」とか「なんかしたい~」と言い出した子どもを寝かすために「どうしたらよいのかな~」と考えた中で始めたのが、私の創作話でした。
内容は完全に思い付きでした。例えば・・・ある時、○○くん(長男の名前)という一人の子どもが山に行きました。川があり、どうやって渡ろうかと考えましたが、よくどうしていいかわかりません。そこにくまさんがやってきて、木で橋を作ってくれて、川を渡りました。今度は鳥がやってきて「一緒に行こう」と言ってきました。すると大きな岩があったので、鳥につかまって飛んで越えていきました・・・といった、終わりのない、よくわからない話です。とりあえずたくさん動物が出てくれば、子どもは「次は何が出てくるんだろう」と言って聞いてくれて、そして、いつの間にか寝ていました。
とりあえず、寝かすという目的は果たせたので良かった~と思いながら自分も寝ました。
この方法で寝かすことで、時々困ったのは、次の朝に、早く起きてきた子どもが、「昨日の話の続きをして~」と言ってきた時です。「また寝る時にね~」と言っても、「今お願い」と言われることもしばしばありました。
子どもたちはだいぶ大きくなりましたが、今でも、私が話をしたことを覚えているようで、「寝る時のあのパパの話は楽しかった~」と言ってくれることもありました。子どものためにどうしていいか分からない中、なんとなく行ったことが、子どもたちにとっては大きな思い出になっていることもあるのだなと思わされた一つの出来事でした。
子どもを神に捧げ、「受け取り直すこと」
東福岡幼稚園理事
松見 俊
創世記22章1~14には、信仰の父と呼ばれるアブラハムが、年老いた夫妻にようやく与えられた一粒種のイサク、神の祝福の要であるイサクを神に捧げるために生贄にしようとした物語が登場します。ひとは生きる苦悩の中で、人を人身御供として何者かに捧げることは古今東西伝わる伝承です。このアブラハムーイサク物語の背景には、長子を殺して神に捧げる「モレク」の異教が存在していると推定されます。この野蛮な異教の風習を批判・克服するために、イスラエル(これは現在のイスラエル国家とは別物で、現在のイスラエルは本来の神の民「イスラエル」から全く逸脱しています)の神は、人の替わりに「小羊」を備えて下さること(8節)、「主の山に、備えあり」(14節)を強調することが主眼です、それにしても神はこのような過酷で理不尽、無慈悲なことを求めるのか?と問わざるを得ないでしょう。アブラハムは神に従順に生き過ぎて、神のテストに不合格であったのかも知れません。神はアブラハムの反発、怒りを望んでいたのかも知れません。むろん、動物を殺し、日常的にそれらを食べている自分たちを棚に上げて、自分たちを問わず、神を問うことも問題でしょう。
19世紀、デンマークの哲学者で著述家、信仰者であるキルケゴールは、結婚をせず、生涯子どもを持つことはありませんでした。今から考えると彼の中に多少、性差別的視点がないわけではありません。
しかし、彼の『おそれとおののき』の「調律」そして、その後の文書において、この物語の3つの解釈の可能性を呈示しています。第一はアブラハム自身がイサクから距離を置き、彼に信仰の歩みの促しを与える物語(息子の親離れ、母サラの子離れの必要性)、第二は、アブラハム自身が神を見失い、神の過酷な要求に絶望してしまう物語(倫理性と信仰の関係理解の危うさ)、それが母サラといとし子イサクの自律(自立)を生み出すこと、父のもつ、社会性の役割を演じる物語として理解することです。第三は、自分よりも神を大切にする父の姿を見て絶望し、信仰を失ってしまうイサクの物語としての解釈です。
いずれにせよ、与えられたこどもをいったん、神に捧げ、手放さないと親による子どもの「私物化」が起こり、最終的には親が子を食い殺すことになり、他方、神にいったん捧げたこどもを「受け取り直す」ことがないと、放任主義の無責任となるに違いありません。子育て、親育ちはまさに「冒険」です。アブラハムーイサク物語は、この微妙な愛着と距離感(ハラスメントを含む、いわゆる「愛着障害」)についての物語なのでしょう。
子どもたちの「成長・発達」の速度の違い
東福岡幼稚園理事
東福岡教会協力牧師
松見 俊
この原稿を書いているのは2024年2月です。キリスト教会暦では四旬節(レント)と言い、キリストの苦難と復活を覚えて過ごすシーズンです。年長「ひかり組」の園児たちはいよいよ「卒園」、新しい「学校」での生活が始まります。子どもたちも保護者の皆さんもワクワク、ドキドキでしょう。
園児たち、そして、私の孫たちをみていると、少しづつ成長していくのですが、その速度には家庭環境やその子の個性によって「速度の違い」があるように思います。ここでは「成長」とか「発達」という言葉そのものも持つ問題についても良く吟味しなくてはならないのですが、一応、今回はそれを見送ります。ただ、教育論としては、教育とは「社会に馴染み、社会で生きていくためのコツ・ルール」を教えていくという考え方とその子が本来持っている本質や能力を引き出してあげることという2つの考え方があり、その両方のバランスが大切です。「躾」ということを考える時に、保育者も保護者も悩ましい想いをするのでしょう。また、保育・教育・共育の考え方には時代の流れというものも影響していることでしょう。「少子化」「核家族」などです。あるいは乳母車にのってゲーム機をいじっている1歳以下の子の登場なども私の世代では考えられないことです。
また、これはラプズレーという人の考え方ですが、「生命体」には「発達」(development)と「維持」(maintenance)と「参与」(participation)の三要素が必要であると言っています。「発達」「成長」を考える時には、それを維持、支えてあげること、待って、期待して、祈ってあげること、生活の中で、子どもたちがお手伝いなど「参与」を通して成長していくことを頭の隅に記憶しましょう。お友達と遊ぶことも「参与」ですね。
以上のことを踏まえて、「成長」「発達」の速度について考えてみます。幼い子にとっては「早生まれ」の子は小学生の高学年くらいまで影響があるでしょう。3月31日生まれの子と4月1日生まれの子では一年の開きがあるのですから成長のスピードに違いがあるのは当然です。また言語機能などは男女差もあるでしょう。兄弟姉妹、同居親族がいるかどうかも成長の速度の違いに影響しますね。そして何よりもその子が生れ持っている「個性」です。大切なことは、それぞれの子どもの成長・発達の速度は異なっていることを認め、受け入れることです。人間の知恵は「分別知」と言って他者と比べ、違いを知ることによって成り立ってもいるので、どうしても人と比べて自分の子どもを見て、発達が遅いとか早いとか考えてしまいます。しかし、実は、人は長い時間をかけて成長、成熟(他者と共に生きること)を身に着けていくのです。幼稚園時代に「保護者」や「他者」の目でお子さんたちを見て早急に判断しないことです。「助長」という言葉がありますが、早く稲が育つように毎日田んぼに行き、稲を早く成長させようとして「引っ張って」かえって枯らせてしまった中国の故事から由来するものです。このような愚かさから解放されましょう。保護者が肩から力を抜き、リラックスすると、子どもたちも楽になり、逆にのびのび成長するから不思議です。




