「学ぶことは楽しいこと」が根本
東福岡幼稚園 理事長
福岡女学院大学人間関係学部子ども発達学科 准教授
小栗 正裕
年長・ひかり組の園児たちは、卒園を迎えます。幼稚園を卒園して、小学校に入学します。「学校生活」の始まりです(実は、幼稚園も「学校」のひとつではあるのですが)。
小学校に入学すると、何が変わるでしょうか。大きなランドセルにたくさん詰められる教科書、「国語」「算数」などと書かれた時間割表…。鉛筆や消しゴム、ノートなどの「学用品」もランドセルに入れて持って行く。
学校で取り組むことを、私たちはしばしば「勉強」と呼ぶことがあります。教科書に書かれたことを理解し、そこに示された課題に取り組むことを、「勉強」と呼ぶことが多いでしょう。
私は個人的にはこの「勉強」という言葉はあまり好きではありません。「勉強」とは「強」いて「勉」めるの字を書き、「無理をする」「苦労する」という意味が含まれています。「勉強しまっせ、引っ越しの…」のテレビCMを知る方も少なくなられたようですが、私が大学院生時代を過ごした関西では、お店の人はよく「勉強しまっせ」と言って、「無理」をして(?)値引きをしてくれていたものでした。もちろん、子どもにとっても「努力」することが大切だとは言えるでしょう。しかし、学校で学ぶことは「無理」「苦労」といった「苦行」でありさえすれば良いというものではありません。
本園の園児たちは、きっと幼稚園で取り組むことを「勉強」だとは思っていないことでしょう。幼稚園の教育は「遊び」を中心とすることがその特性とされているからであり、保育の中で何かに取り組む時には、子どもたち自身が「おもしろそう」「やってみたい」と思えるような動機付けをすることを大切にするからです。子ども自身が「楽しい」と思えるから、それは「遊び」となります。子ども自身が興味を持ったことに没頭するのですから、それが「勉強」であるはずがありません。しかし、それを通して子どもたちは工夫することや身のまわりのさまざまな物事、友だちとの関わりなど、多くの「学び」を受け取ります。もちろん、幼稚園の教師たちはそれらの「遊び」から何を「学ぶ」かということを見通した上で計画的に保育をするのですが…。
小学校に入れば教科書も時間割もありますが、本来、この「学び」の本質は変わらないと言っても良いでしょう。小学校に入って始まる最初に始まる教科のひとつに「生活(科)」があります。この教科は1989(平成元)年の小学校学習指導要領改訂で生まれた比較的新しい教科ですが、それ以前は、今日では3年生から始まる「理科」「社会」が1年生から学ばれていました。1,2年生の「理科」「社会」を廃止して「生活(科)」が新しく生まれた背景には、身のまわりのさまざまな物事を「自然のもの」「社会のもの」を区別してとらえるのではなく、子どもたち自身がさまざまに興味・関心を持ちつつ、教師による説明ではなく具体的な体験を通して学ぶことが適切であると考えられたことがありました。小学校ではそれを「遊び」と呼ぶことはやや少なくなりますが、子ども自身が「おもしろそう」と思ったことに、自ら取り組むことを通して「学ぶ」という考え方は、小学校でも引き続き大切にされているのです。
「学ぶ」ことは、「知る」こと、「良くなる」こと、「できるようになる」ことですが、そのことによって「うれしい」と思うことは、さらに「知りたい」「良くなりたい」「できるようになりたい」と思う動機付けであり、「学び」のサイクルを生むでしょう。「学ぶことは楽しいこと」です。その最初のきっかけは、「おもしろうそう」「やってみたい」と思う気持ちです。幼稚園で大切にしてきたこの気持ちを、卒園して小学校へ入学していく、ひかり組の子どもたちには、これからも大切にし続けてほしいと思っています。