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あそびとおもちゃ

子ども豊かな遊び・学びの両輪

2018年7月15日

6月23日に、『幼児教育実践フォーラム』の研修に参加しました。その時に、私が日頃から感じていたことが、すっきりとした形の理論として、「そうそう、この様な事だったのよね」とまとめることができ、とても嬉しく思ったことを、今回はお話しします。

【子どもの豊かな遊び・学びの両輪】として,子どもの遊びには、『孤独な科学者としての学び』と『社交的な法律家としての学び』があると、講師の先生はお話されました。なんだか、とても難しそうなお話のように思えますが、「そうそう、子どもたちの遊びってそうなのよ」と、日頃、私たち保育者が幼稚園で子どもたちの当たり前の姿として見たり、すでに知っていることが、そのことだったのです。

では、『孤独な科学者としての学び』とは、どのようなことなのでしょう? 例えば、子どもが、積み木を一生懸命に積んでいる姿をよく目にします。大人は、もっともっとと、できるだけ高く積むことを願い、まだまだいけると応援します。すると、突然、子どもはニヤッと笑い、せっかく積んだ積み木を自らの手で、崩してしまうことがあります。この様な遊びは、年齢が低いほどよく見られる遊びです。大人は、「あ~あ」とがっかりしてしまいますが、子どもは、そうではありません。では、なぜ、子どもはせっかく高く積んだ積み木を、自らの手で崩してしまうのでしょうか? もう少ししたら倒れそうだから、自分が怪我をしないように安全策として崩してしまうのでしょうか? そうではなさそうです。子どもは、「今、積んでいる積み木を崩したらどうなるのだろう?」 「また、次も同じように積むことができるのだろか?」 「次は、どのような積み方をしてみようか?」「さっきよりも、もっともっと高く積むことができるかもしれない」などなど、自分で仮説を立て、いろいろな実験をして、それを検証し、結果を導き、「自分の思った通りだった!!」とか「予想と異なったのは、どうしてだろう?」とその子どもなりに考え、黙々と実験を繰り返し、そして子どもは自らいろいろなことを学んでいく、そのような姿から、『孤独な科学者』と表現されるのでしょう。

もう一つの『社交的な法律家としての学び』とは、どのようなことなのでしょう? 子どもがお友だちや保育者と遊ぶときに、遊びの中で、ごく当たり前に行っていることなのです。例えば、自分が使いたいおもちゃをお友だちが使っている時に、そのおもちゃとよく似たおもちゃを持ってきて、それを「はい」と言って渡し、ほしいおもちゃを手に入れる、また、いろいろと自分に有利な理由を言って相手がよくわからないうちに、そのおもちゃを自分の物にしてしまう、遊びのルールの理解がお互いに違ってそれで喧嘩になった時に、自分の考えと相手の考えの共通点を見つけ出し、話し合って解決して、どうにかしてその遊びを続けようとする、など相手と交渉したり、駆け引きをしたり、解決したりする。 このような姿は、子ども特有のものではなく、大人とよく似た姿だと思いませんか? もちろん、子どもは最初から、このようなことがで自然にできたわけではありません。大人や、お友だちやいろいろな身近にいる人たちの姿を見て、いろいろな方法を駆使することで人間関係がうまくいくことを知り、自分で試してみて何度も失敗し、また、成功して誉められ、沢山の経験をして、そして学んでいくのだと思います。みんなのルールに基づいた合法的な方法を学び、人間関係の作り方を学び、まるで、法律家のように自分でいろいろな問題を解決していく能力を身に付け実行することから『法律家』と表現されるのでしょう。

子どもの行動や遊びには、ひとつひとつ大きな大切な意味があることを、私たち大人は、もっともっと知り、考えていかなくてはいけませんね! 子どもの姿を見ながら、「今、こんなことを考えているのかな?」と想像してみることも、とても大切なことですね!!

 

 

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